『テニスの王子様』などと共に、今や「ジャンプ」キャラアニの王道を歩んでいます。こっちも観たかったかも。
『アイ・アム・レジェンド』のジャンルはSF、しかも私が好む近未来の地球危機がテーマの作品です。リチャード・マシスンの原作とはかけ離れた演出となっていますが、別物として見ればこういう展開もアリかなと。
この作品は過去にも二度映画化されています。時代を反映した演出がなされて当然という気がします。
パンフレットの「3度目の『アイ・アム・レジェンド』が示すもの」に、次のような記述があります。
そんな世相を反映するかのように、その頃に描かれたSF小説やSF映画などは地球を侵略するエイリアンの恐怖などを描いた作品が多く散見され、マシスンの本作もそうしたゼノフォビアの”産物”といっていい。
ゼノフォビアとは己が属する種族以外を排斥するというような意味を持つ言葉です。
1954年の原作は「冷戦と共産主義」に対する脅威。
1964年の映画『地球最後の男』は「ベトナム戦争」への怖れ。
1971年の映画『地球最後の男 オメガマン』は保守タカ派のチャールトン・ヘストンを主役に祭り上げての「黒人たちの差別糾弾運動」の流れ。
そして『アイ・アム・レジェンド』の「ゼノフォビア」は9.11以降の「姿なきテロリズム」を表していると、映画評論家の尾崎一男氏は主張されてます。
ま、難しい話はともかくとして、訳の分からない怖ろしい存在(ダーク・シーカーズという)が描かれているのです。廃墟と化した街と暗闇にうごめくダーク・シーカーズは『バイオ・ハザード』を彷彿とさせ、CGを駆使した映像は見応え十分。
ニューヨークという大都会のど真ん中で一人生き抜く主人公を演じるのはウィル・スミス。彼のコメディはイケてますが、シリアスな映画も捨てがたいです。
特に、彼の孤独や絶望感はその思い詰めた表情で読み取れるだけでなく、彼の自暴自棄とも言える行動とあいまって見る者の心を打ちます。
結末に至る筋書きはありふれているのかもしれませんが、陳腐なSFで終わらない、案外底の深い映画でした。
おまけ:
レンタルショップで『地球最後の男』を探したところ、一字間違えて『地球で最後の男』を借りてきてしまいました。
これがトンデモ映画でして、SFではなくサスペンスというかサイコものに属すると言っていいのか、演技・構成ともにB級ならぬC級。
「あれっ?」って感じでした。ネットで調べて納得、全く別物だったんですね。
Amazonでもほとんどの人が☆一つって、逆にスゴイ!
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