2007年7月23日月曜日

『怪談』トークライブ試写会には京極夏彦や平山夢明も

64ef4135.jpg昨日(22日)、『』編集長の東雅夫氏の司会による「トークライブ試写会『怪談』の夕べ」へ行ってきました。映画『怪談』の試写会というだけでグッとくるのに、さらに、京極夏彦先生、平山夢明先生、尾上菊之助氏、中田秀夫監督という豪華な面々によるトークライブまで堪能できるという、まさに怪談ファン垂涎のイベントなのです。


主催は日本初の怪談専門誌『』です。もちろん、私の愛読書であります。中身は、怪談実話、小説、怪談漫画から対談まで、幅広い構成です。そもそも、このトークライブは『WEB 幽』上で募集していました。先着で350組(700名)ということで、たまたまページを見て応募した私は、間に合うのかどうか不安だったのですが、先日チケット(はがき)が届いたのでした。


会場では、サイン本も発売してました。私が手に入れたお宝は以下の通り。

これだけでも、かなりの価値あり~。


隣之怪 木守り』(木原浩勝氏にその場でサインしてもらう)

百物語怪談会』(東雅夫氏のサイン入り)

怪談の学校』(京極・木原・東氏のサイン入り)

丸くたためるウチワ』(木原浩勝氏サイン入り)

件(くだん)』の置物(めでたい獣)
怪談グッズうちわ怪談グッズくだん


以下、映画とトークライブの様子です。撮影・録音が禁止のため、各氏の発言内容は正確ではありません。また、時系列で書くと長くなるため、話の順番は前後しています。詳しい内容については、いずれ『幽』にも掲載されるのではないかと思いますので、そちらをどうぞ。


尾上菊之助氏は翌日の公演が控えているために、トーク中に途中退場しました。たくさん来ていた取材のカメラ陣もほとんどが一緒に退場して、場内は少しだけ暗くなりました。歌舞伎役者ってのは、やはりスターなんですね。残された監督や作家達は「華がなくなりました」とちょっぴり自虐的。



映画『怪談』は、8月4日より全国ロードショー尾上菊之助黒木瞳主演、監督は『リング』で有名な中田秀夫監督。同じホラー系にくくることはできないほど、『リング』とは全く異なった作品に仕上がってました。


「『リング』の貞子と今回のヒロイン豊滋賀(とよしが)はどう違うのか」という東氏の問いかけに、中田監督は、次のようなことをおっしゃってました。
中田「底では繋がっているんでしょうけど..貞子はどういうのか分からないから怖い。豊滋賀は分かっていても怖い。人生経験の中で、女性が一番怖いと勉強しまして(笑)」

三遊亭円朝の『真景累ケ淵(かさねがぶち)』を原作として、「親の因果が子に報い」という話に始まり、男女の情愛を絡めた、よくある怪談ストーリーなんですが、そこには日本独特の怖さがあるように思います。


見所の一つはその映像の美しさ。東氏も「怪談を美に昇華させた」と表現されてましたが、「和」の持つ静かで妖しい雰囲気は、実際に体験しないと分からないでしょう。

障子越しの光が畳に反射するところまでを計算して撮影したという、照明効果へのこだわり。

「雨から雪に変わるその温度の変わり目に音をつけてください」とSE(サウンド・エフェクト)の方に頼んだというエピソードも印象的。また、新吉による「たばこ売り」の口上はとても通る印象的な声でした(これについては資料が存在しないので、監督と尾上氏で考えたというのには、皆さん驚かれていました)。

それらがすべて、場の空気感とか香りとなって漂っているのです。


京極氏は「久々に良い時代劇だった」と絶賛。

「幽霊が怖いというよりも、そういうのとは質の違う怖さ」とも。

京極氏は、次のようなことも語っておられました。

「リアリティを重視し、それが怪談へとつながっていった」

「ありものを使っていない。編集とかをやっていると、この音はどこの音なのか、すぐ分かるんです。子供の声は『あそこのだ』とか。ものすごくオリジナリティーの高い時代劇ですね。江戸の再現性が高いかどうかはともかく、そう見せている」


主役の尾上菊之助氏は、女に恨まれる新吉について、「刹那的で、その場その場を楽しんでいる。彼自身は親に先立たれ、愛に飢えていた」という解釈で役に取り組んだとおっしゃっていました。私が思うには、新吉は女性に不器用なんでしょう。相手を真剣に愛すのだけど、それがいつも裏目に出てしまいます。

尾上「『とり殺す』って書面(豊滋賀の遺言)を見ているのに、新吉、それかいっ!(笑)」
京極新吉が悪役になっていないからいい。それが日本の怪談のいいところ」
尾上「男として許せない。男の友達でそういう人がいたら、『君、間違ってるよ』って教えてあげたい(笑)。ストレートなところは共感できるけど」
平山「新吉の愛の求め方はオスがメスを欲しいのではなくて、母親に愛して欲しいというところ。愛の求め方が純粋でピュアーだから、憎めない


おおむね、男性からは「憎めない」という声が。

女としてはご都合主義にも取れますが、実際、新吉のような男性がいたら、メロメロでしょうね。

中田監督にさえも、「最初の撮影で、雨が雪に変わるってときの、新吉の横顔にゾクゾクっとして、自分でも惚れこみながら撮っていった」と言わしめています。

愛しいけど、憎い。憎いけど、愛しい..分かるような気がします。


また、京極氏は「愛は地球を祟る」「愛ほど怖いものはない」「愛は仏教的な執着であり、日本語の『慈悲、情け、慈しむ』を愛と混同してしまっている」と力説されてました。よほど「愛」に痛い思いをなさったのでしょうか。


新吉は豊滋賀から、逃げて逃げて逃げて、逃げまくります。しかし、半ば諦めムードも漂い始め..実は、自分から豊滋賀を求めているところもあるのではと思えてきます。
平山諦観というのも幸せの一つ。今の日本は、勝たなけりゃいけないので大変だ」
京極諦観を汚く言うと『妖怪』になる。諦観をきれいに言っているのが『怪談』」


最後は、ホラーと怪談の違いについての各氏のご意見を。

平山「ホラーは直接的なショック。怪談は何回も読んでしまう。そこに立ち込める香りのせいかも」「ホラーは公倍数である」
中田「『ザ・リング』のような映画は西欧にはなかった。アメリカのファンから『おまえのクワイエット・ホラーが好きだ』と手紙をもらった。怪談には『間』が必要である」
京極「ホラーは想像させるのが難しい」「日本の場合、あの世とこの世が近い。生者と死者の違いがあまりない。地続きである。心霊とかホラーでなく、土壌にしっくりくるものが、怪談になっていく」


正直、映画を観ていて、恐怖で背筋が凍るようなことはそれほどありませんでした。でも、情緒あふれる日本の『怪談』が素直に描かれていて、とても素敵な作品だと思います。幽霊より何より「女が怖い」というのは、真実ですよね。


怪談好きな皆様、劇場で、ぜひご覧になってください。


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